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安田 舞 連載エッセイ第三回 【人にはひとりひとり生まれてきた意味や使命が必ずある (中編)/ 宿命を使命に】 


安田 舞 連載エッセイ第三回

 

【人にはひとりひとり生まれてきた意味や使命が必ずある (中編)/
宿命を使命に】

 

 

安田 舞連載エッセイとは。

 

カテゴリーを
【書道・仕事・人生に対する考え方】
【思考・人格・生き方】にわけ、

 

【書道・仕事・人生に対する考え方】では、
書道に関することで、為になる知識・仕事・人生に対しての考え方

 

【思考・人格・生き方】では、
人間安田舞自身が、
人生と想うことについて・経験談などをもとに
見てくださった方や誰かの役に立てればいいなと思い、
書いていきたいと思っているものです。

 

随筆のような形になるかと思いますが、
ご興味を持っていただいた方・ご縁ある方の
何かのお役に立てれば幸せです。^ ^

 

 

 

第三回目のタイトルは、

【人にはひとりひとり生まれてきた意味や使命が必ずある (中編)/
宿命を使命に】

 

☆(前編)はこちら
https://ameblo.jp/maiy0809/entry-12389711898.html

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

書との出逢いは、4歳の時。

 

母親が習い事の一つとして、幼馴染と一緒に
家の近くの書道教室に通わせてくれたことが、最初のきっかけでした。

 

そこから現在に至るまでに、どうして私が今おこなっていることを
使命だと思うようになったのか。

 

今回は、自分自身の経験を例として交え書いていきたいと思います。

(今回は、体験談・具体例を交えるため、
私的・個人的な話、内容が多い回になると思いますので、
もしも興味のない方は、遠慮なく読み飛ばしてくださいませ。。🙇‍♂️)

 

 

 

ーーーーー

 

前回で
「ルーツを辿る」
という話をしましたが、

 

私も大人になってから、自身のルーツを辿りました。

そのなかで、自身の価値観を形成するのに大きく影響したなと思うのが
書と出逢った頃と同じ4歳のときの経験です。

 

 

4歳のとき、幼稚園の健康診断で、
不整脈が出ていることがわかりました。
(生まれつきではなく、急にだったみたいです。。)

 

脈拍が早く、再検査に行った総合病院で、
「突然死するかもしれない」という言葉があり、入院することになりました。
(私は小さかったので、↑この言葉は母から聞いた内容です。)

 

入室したのは、循環器系の総合病院小児病棟の4人部屋で、
同じような年頃から中高校生くらいまでの方たちが
心臓に関する病気や治療で入院していて、

 

私は院内で心電図をつけ、検査を受けながら
不整脈を抑える(整える)自分の身体に合う薬を試していきながら
入院生活を送ることになりました。

 

(当時脈拍が三桁を超えていて、ビックリですが車椅子で
移動していた時期もありました。。🙇‍♂️🙌)

 

 

でも、親や周囲の心配とは対象的に、
本人には自覚症状があまりなかったため、
(完治してからは健康の差を感じますが)

 

寂しい想いや辛さ・検査の怖さはとてもありましたが
本人目線での身体はいたって元気で、
病院内で友達をつくって遊んだり、看護師さんとナースルームで遊んだり
毎日来てくれる母が売店や外で買ってきてくれるお菓子が
嬉しかったりしていました。

 

 

毎日を過ごすなかで、同じように元気な子供たちもたくさんいましたが、
病気の種類や病状は子供によってさまざまで、

 

ある日は、手術を終え身体に手術跡をつけて担架で運ばれ部屋に戻ってくる子
隔離された個室で、常に管を通し寝たきりの子
病室が変わったなと思っていたら、のちに亡くなったと聞かされた子もいました。

 

 

時間が経ち、さまざまな薬を試した結果、
不整脈を抑え整える・効き目ある自分の身体に合う薬が見つかったため、
結果約三ヶ月の入院生活ののちに、退院することが出来ました。

 

 

その後大きくなるにつれ、生きていくなかで、

 

なぜ生きる人と死ぬ人がいるんだろう
人は何のために生きているのか
なぜ生まれてきたのか
なぜ地球・宇宙は存在しているんだろうか

 

このようなことを時々考えるようになっていました。

 

 

 

退院後は無事に小学校に入学。
自覚症状のない私は、元気に登下校、生活していました。

 

 

でも、日常生活に支障はなく見た目も元気であるものの、
心臓に負担がかかるとの理由で、
体育の授業での長短距離走・水泳は長く潜ることは禁止
遊園地の絶叫系マシーンは禁止などのドクターストップがかかりました。

 

 

(それと、毎日お昼休みに保健室に行き、保健の先生に脈を測ってもらう
ようにと言われ、6年間通っていました。
中高学年頃になると、友達たちとの鬼ごっこに夢中になったりして、
自由(不良?)意識が芽生え、行かなくなったりよくサボったりもしましたが。。笑

 

おかげで先生とはとても仲良しになりました。
年賀状がいつからか途切れてしまったけれど、垣下先生本当にお世話になりました。)

 

 

 

日常生活のなかで、主には心配性な両親と、周りの大人に
それは、危ないからやめておきなさい。
しんどかったら無理しないように。

 

そう声をかけられることが増えて、

無意識のうちにブレーキをかける自分がいたり、
制約・縛られたような感覚を感じていました。

 

元気なだけにとても辛かった記憶があります。
でもどうすることも出来ず、、

 

この頃から、
もっと自由に生きたい!(もっとチャレンジしたい!)
という感覚が芽生え出してたように思います。

 

 

 

 

冒頭に戻りますが、4歳の時に書に出逢い、
幼馴染や同級生たちと、週に一度、学校が終わったあとに
書道教室へ通うようになっていました。

 

 

字を書くこと、そして絵を書くこと・学校の美術の時間
(や物造り)
も得意で大好きでした。

 

 

(今思えばですが、好きなことでもあり、)
当時ブレーキを踏まずに思い切り打ち込めるもの、
賞の受賞や段級の昇段など、頑張ったら頑張った分だけ
結果や成果のかえってくる書にどんどん楽しみを見出していきました。

 

そこから、20年以上続けることになります。

 

 

 

高校二年の頃、17歳になった私は、
卒業後・将来の進路に迷いました。

 

一番長く続け大好きで得意だった書の道、
それから、美術大学への道、調理製菓への道。

 

一番やりたかったことは書でしたが、
実際仕事となると、当時のロールモデルはまだ少なく、
書道家の生き方も、今ほど多様ではなく、また、幼い自分自身の視野も狭く、

 

書を仕事にすること=書道教室の先生
という職業・生き方しかイメージに出来なかった私は、

 

技術・芸は、終わりのないものとして捉え、
まだ先の未来からでも出来ると考えて、
一旦、将来の働く姿の見えやすい製菓への道に飛び込んでみることにしました。

 

 

専門学校を卒業後、製菓衛生師の資格を取り製菓業界へ。
製造・販売をし勤めていましたが、
あるとき、環境・待遇・健康面などを考え、一度仕事を離れることに。

 

十分な時間と心のゆとりを感じるなかで、
心のモヤモヤ・沸沸と感じるもの・自問自答するものがありました。

 

 

『自分はこれからの人生で何がしていきたいのか?』
『どう生きていきたいのか?』

 

 

たくさんの世界が知りたくなった私は、
色々な本を読んだり、気になったセミナー・講演会に参加してみたり、人に会ったり、
(自己啓発系・哲学・ビジネス・心理学・旅系など)
時間を使ってたくさんのものに触れました。

 

 

世の中には、様々な人・生き方や考え方、価値観や働き方・環境がある。
そのなかで、自分という人間はどう生きて生きたいのか。

 

 

視野が拡がり、自分自身と向き合い、深堀り内観していくなか、
私には、

 

『人にはひとりひとり生まれてきた意味や使命が必ずある』
『世の中の誰にでもできることではなく、
自分にしか出来ないことで人の役に立ちたい』

 

という想いと価値観が強く芽生えていました。

 

 

 

自分には、何が一番長けているだろうか?と考えたとき、

自分で導き出した答えは、やっぱり『書』でした。

 

『書で世の中の役に立ちたい』

 

書道家として生きていくことを志しました。

 

 

 

時を経て
『人はひとりひとり、生まれて来た意味や使命が必ずある』
と書に気が付かせてもらったのだと感じましたし、

 

 

もともとの自身の本質と、
幼少期の頃の経験と感情が根底になって、
(不整脈での入院の経験と、制約を感じた幼少期
同じ時期に出会った、大好きな書道)

 

人はひとりひとり生まれてきた意味や使命が必ずある
自分の好きなことをやりたい
もっと自由に生きたい
自分にできることで人の役に立ちたい
一度きりの人生を思いっきり謳歌したい・可能性にチャレンジしたい

 

という自身の価値観を形成したのではないかと思っています。

 

 

 

大人になって、この時に読んだ本・出逢った言葉が、

座右の銘にしている

ニーチェの言葉
『人生を最高に旅せよ』でした。

 

 

そこから、私の書道家として生きる道が始まりました。

 

 

 

(そこからどのように行動し、出逢いも経て、
書道家として活動をしていくようになったのか、
そして、そこからさらに進んでいった話など
実践的な内容については、また、テーマを変えて
あらためて書きたいと思います。)

 

 

 

ーーーーー

 

 

家族、親、兄弟、祖父母、親戚など
自分の家系を辿って確認してみたりするということについて
前編で触れましたが、

 

私の場合は、祖母と共通することが多く
同じ8月生まれの辰年の獅子座であり、

 

また、祖母は和裁の先生で自宅に教室を構え、生徒さんに教えたり
外注の仕事の依頼を受けたりしていたこと
従兄弟の経営していたレストランを手伝っていたこと
アクティブだったこと

戦争がなければ、中国で商売をしようとしていたこと

私(孫)にはとても優しかったのですが、
男勝りではっきりした性格で好き嫌い・敵も味方も作る性格
度胸がある・人情に厚い
でも、病気には弱かったりしたことなど

 

元気だった頃祖母本人と関わって感じたこと話したこと、
母や叔母、親戚から聞いた様々な話から、
似ていると感じるところも多々ありました。

 

 

祖父は、母と叔母が若い頃に病気になり、早くに亡くなったので、
そこからは祖母が家族を養っていました。

 

だから、とても家族の絆が深いと言っており、
母と叔母は、とても真面目で家族思いな道徳的な人だと思います。

 

他にも父と母のパートナーシップや昔の経験
家系を辿って
たくさん話を聞くと、気がつくことや感じることは色々ありました。

 

 

身内でも近しい人でも、
この人は何故このような価値観なんだろう?と
一人の人間として興味を持ったり、

 

人のルーツをたどっていると、
あることがひとつに繋がる瞬間があって、
理解できないと感じていたことが理解できるようになったり、
深いところから、理解することで、
心繋がることができたり、

 

長い人生の間には、
その人(身内や知人など)と同じ経験をしたり、境遇に立つ機会もあるし、

 

そこでまたはじめて真の意味で、理解出来るようになったり、
人として繋がれるようになれたりすることは、
すごく嬉しいことだなと思います。。

 

 

 

そして、経験から、だから自分はこうなんだ!と気がついたままではなく、
それを理解して、その経験を生かして、
成長していくことや、パターンを変化させていくこと、
良い未来・方向へ切り開いていくことが大切だと思います。

 

 

ーーーーー

 

 

宿命・運命・使命
という言葉を、聞いたことがあるかと思います。

 

(四柱推命や、素質論などを調べたことのある方には、
少し、馴染みのある言葉かもしれないですよね。)

 

 

それぞれの意味についてですが、

 

宿命
前世から定まっている運命。前世における善悪・苦楽などの状態。
生まれつき宿っていること。

 

運命
人間の意志を超えて、人間に幸福や不幸を与える力のこと。
あるいは、そうした力によってやってくる幸福や不幸、
それの巡り合わせのこと。

 

使命
生きている間に果たさなければならない仕事のこと。
与えられた使命の中で、何をすれば幸せになれるか・何をするのが人間として
正しい生き方なのか。そうした内容を考えて行動すること。
自分自身が決めてきた今世での役割のこと。

 

と出てきます。

 

 

生まれ持った宿命は、変えられないけれど、
行動していくことで、運命は自分次第で切り拓き、変えていくことができる。

 

そうして、進んでいくそのなかで、使命と思えるものに(感じ)出逢っていき、
自分自身で見つけることが出来るのではないかと思います。

 

 

【 生まれ持った宿命は変えられないが、

自分次第で、運命は切り拓いていける。

切り拓いて行く先に、使命と出会える。】

 

のだと思っています。

 

 

大人になって、

一日の不整脈の出ている数値が0%になり、
先生からの診断で、
もう通院しなくてもよくなったとき、

 

「宿命を使命に転換できたから、
舞には、もう必要がなくなって、病気がなくなった(治った)
のかもしれないね。」

と母が言ってくれました。

 

 

そのときに、パッと目の前が開けて、心が軽くなり、
第二の人生がはじまったと感じるような感覚がありました。
母の言葉は、心にくるとても嬉しい言葉でした。

 

感覚なので言葉にすると、大げさかもしれませんが、
新しくはじまったこれからの人生を謳歌していこう。

そう感じました。

 

 

 

まだこれから使命(役割)のある者は、

必ず生かされる。

と、私はいつも思っています。

 

例えば、私の話ですが、飛行機で海外に行くとき。

 

空の上という逃げようのない状況で
何かあったらと考え怖いのですが
(好奇心旺盛な反面こんなところはとてもビビリ・・
でもワクワクと恐れはいつも共存しているものなのだ、、!)

 

もしもこんなところで死ぬようなら、
私はそれまでの人生(人物)だったんだな。と思って
覚悟して乗っています。←開き直りですが笑

 

極端ですが、自分に使命がまだ残っているなら生きるだろうと。。

 

 

恐れや誰かの命がなくなることに直面する度に、

いつも今しかないという気持ちを忘れず、大切にしよう。
後悔のないように、大切な人やお世話になっている人に
感謝の気持ちを惜しまないで、伝えよう。
全力で取り組む・行動しよう。

と想います。

 

 

 

短い人生でも、使命をまっとうした人。
使命をまっとうして、人の心にたくさんの感動や、力を与えた人がいます。
長い人生を生きても、なんとなく生きている人もいます。

 

 

 

人の心に、後世に、日本に、
何かを残せる人になっていきたいですよね。^ ^

 

 

 

 

今回は、私的な話が多くなってしまいました。。
後編に続く 次が最後で後編です。

 

 

次回:
第四回 【人にはひとりひとり生まれてきた意味や使命が必ずある (後編)/
自分を生きる】

 

 

 

安田 舞

 

 

 

 

 

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安田 舞 書道家/書家  大阪・東京・京都を拠点に国内外にて活動。 はじめまして。書道家 安田 舞と申します。 現在『可能性を切り拓く』『感動と活力を届ける』ことを指針とし、国内外での書道パフォーマンス、題字ロゴ制作・企業理念やオーダーメイド作品制作、空間演出・文化活動など書を通じて、活動・お仕事をおこなわせていただいております。 こちらでは、活動報告や、作品のご紹介、活動に対する自身の想いなどを発信してまいります。 ご興味を持ってくださった方は、よろしければ、是非、Facebookページや、インスタグラム、Twitterのフォローをしていただけると幸いです。 素敵なご縁に感謝申し上げます。

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